第23回 府中文化村

「わが街『府中』歴史再発見

―国府・宿場町・くらやみ祭―」

§2 宿場

 江戸時代(400年前)に入ると江戸の徳川が五街道を整備します。府中に走る甲州街道はそのうちの一つで、立地的に府中が4つ目の宿場町として存在しました。それには武蔵国の総社で一之宮から六之宮まで祭る「大國魂神社」の存在もあり人を集めるものがあったことも大きな理由で、小野館長によればこの宿場町は今の府中の原形となっているといいます。

剣客を除いて一般の人たちは新宿をスタートし、ゆっくり府中で宿泊したり街を満喫することにより宿場町として発展していったそうです。

「国府が府中の原点ならば宿場町は府中の原形」であり、現代でも立体的な景観が変わっても平面的には変わりがないことが府中の良いところだといいます。

こうして国府がなくなっても宿場町として府中は再生していったのです。

 

§3 くらやみ祭

 さて、ここまで来ると府中は現代でも顔として残っているくらやみ祭も視野に入ってきます。

くらやみ祭の歴史的意義は国府の祭だそうで、国府がなくなっても現代まで続いているのは先述した宿場町の人たちが守り、伝統を伝えていったところにあります。これは現代にも通じる市民参加の祭として発展したことを表します。

くらやみ祭は歴史が古く、武蔵国が主催する政治的なセレモニーで6つの神様を集まらせることが特徴だそうです。このことは600年前の史料でもくらやみ祭がどの祭よりも大きく取り上げられており、こうした当時のガイドブック的なものに「夜行われる由緒ある古めかしい古式のお祭り」に参加するため江戸からも人が集まったといいます。

それは祭に大きな市場がたったことで江戸から日帰りで来たり、どこかへ泊って「祭り」と「市」を楽しむという観光的要素が追加され、祭で人が集まり、市場が盛り上がるという『宗教行事』と『経済的イベント』の相乗効果でより観光的に発展していったことが今の祭りの原形であり、現代に祭りが盛り上がり伝統が残っている所以ということです。

 

今を生きる私たちは過去の歴史遺産や文化遺産に目を向けることは多いとは言えないかもしれません。それは歴史や文化を考えることと今の生活に乖離があるからだと私は思います。歴史を学ばなければ、文化遺産を知らなければ生きられない訳ではないからです。

しかし、小野館長がお話くださったように「歴史遺産・文化遺産は地域アイデンティティーの拠り所」となることも事実です。それは現代に「地域・コミュニティ」でより善く生きる私たちにとって必要性があるからで、地域の発展と私たちの生活の向上にはきっとこうした歴史・文化が拠り所となることがあるからだと考えます。

私たちの生きる府中という街は、または別の街に生きる人たちにもその歴史や文化が深くあり、それが私たちの生活を目に見えない形でも支えているということをまずは知ることが大切だと思います。

最後に小野館長の言葉ですが、「府中という街の中心が、歴史的にも空間的にもぶれない」そんな素晴らしい街が私たちの街なのです。

 

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